吉井さんが 演者になるところ!
Eさん 「 おまえ ベースやれよ! 」
吉井さん 「 俺 楽器やったことない… 」
Eさん 「 教えるって! 」
↑って 会話のやりとりの その場に
Watashi いました!
貴重な体験です
それから すぐに
吉井さんは
静岡の URGH POLICE
という バンドに 加入して
あれよあれよ というまに
人気者に なっていきました
吉井さんと 書いてますけど
Watashi 的には
Watashi の 思い出の中では
いまも
“吉井”って
呼びすての 存在なんです
あんなに 才能あって
有名になった人を
呼びすてにするの
今となっては
気がひける…
でも
回顧録なので
あえて
呼びすてで
話しをすすめさせてもらっても
いいですか?
悪気はありません!
むしろ
あの頃のままの
ヤンチャな笑顔の
図体と 態度のデカい
いや だから
悪気はないですって…
URGH POLICE (アーグ ポリス)
静岡で 活動していた
URGH POLICE (アーグ ポリス)
そのバンドが
お気に入りになって
メンバーの方とも
仲良くさせていただいてました
Watashi が住んでいるところには
ライブハウスがなくて
1時間かけて
しょっちゅう
静岡市の ライブハウスへ
行ってました
静岡の
サーカスタウンという
ライブハウス
アーグの ライブ客の人数が
増えてきたころ
いつも 顔見るように なってきた
吉井
Watashi が
その存在に 気がついたのは
吉井が
ローディに なってからなのですが…
ちなみに
ローディとは
バンドメンバーの
楽器を 運んだり
いろいろ バンドに関係した
仕事を 手伝う
いわゆる スタッフさんのことです
当時から
Watashi って
やたら 写真撮る人で
ライブ後とかも
見に来てた人 含めて
集合写真とか
よく 撮ってて
吉井が
有名になってから
アーグの写真 見返してみたら
ライブ見に来てた 人の中にまじって
吉井も 写ってました
ローディに なりたての頃
ステージのメンバー だけじゃなくて
スタッフ作業してる
吉井 撮ったりもしてました
見返すと
超キャワイイっすねwww
当時は
仲間の一人だったから
特別 そんなこと
思ってなかったけど
( 別のバンドに 好きな人がいましたしw )
静岡 サーカスタウン というライブハウス
ほかにも
ライブハウスがあったのか?
記憶にないのですが
地方からの
バンドが 来て
よく 見に行ってたのは
サーカスタウン という
ライブハウスでした
アーグの メンバーも
いろいろな バンドを
見に来ていて
彼らは
地元なので
それらの バンドメンバーと
すぐに
仲良くなってました
『 ライブ後に
食事するなら どこが良い? 』
とかの 話題から
『 そこへ行くには どうやって? 』
とか
『 じゃあ そのまま一緒に 』
みたいな 流れ
数回
吉井を
Watashi の車に
乗せた記憶が あります
( 18才 or 19才ぐらい )
背が高くて
体格もよくて
吉井が
後部座席の 真ん中に乗ると
バックミラー 見えないし
って記憶www
PRESENCE (プレゼンス)
そんな バンドの中に
大阪からの
プレゼンス という
バンドもありました
この プレゼンスの ベースが
後の
JUDY AND MARY の恩田さん
当時は
みんな
“恩ちゃん”と呼んでました
ステージ名は
ラディだった かな?!
回顧録 思うこと
まず
楽しかった!
吉井を 含めて
仲間や 友だちと
一緒にいた 時間は
キラキラしてた!
宝物の 思い出たち!
今みたいに
情報網がないので
すぐに
拡散しないし
されない
だからこそ
濃い仲間と
長い時間 一緒にいたなぁ
吉井も
最初は
ベースやるの
渋ってた と記憶してます
でも
あの誘いがあって
一歩を 踏み出して
階段を 登りはじめた
彼がいる
ごくごく 一部ですが
その瞬間の 時間を
共有していたんだなぁ!
それって
すごく
Happy で
Lucky な
経験だったなぁ!!
その後
吉井さんは
東京へ 出て行き
THE YELLOW MONKEY を 結成して
ガンガン 有名に なっていきました
“東京へ行った”
って ところ
重要な ポイントなんじゃないかと
思います
チャンス とか
センス とか
やっぱり
THE 東京 じゃなきゃ
得られないものって
あると 思うんです
もちろん
才能 とか
チャンスを 手にする度胸とか
もろもろ
不可欠でしょうが
あの頃の
超レアな
キャワイイ写真
ファンの人に
見せてあげたい
( Watashi も ちょっと自慢したい…w )
でも
あれだけ著名な方なので
うかつに公開はできない…
どこかで
本人の目に入ったら
許可してくれないかなぁwww
コメント